Omen―はじまりの予兆


一瞬で、機内は騒然とした空気に包まれた。
巨大な甲虫を連想させる飛空機、その後部、貨物庫で爆発音が轟いだのだ。
ぐらり、と飛空機は大きくバランスを崩す。
続けて第二、第三の爆発音が響く。
推進部が吹き飛び、飛空機は推力を失った。

 ――墜落する――!

誰かがそう叫ぶ。
それが避けられない事態であることは、誰の目にも明らかだった。


少年と両親は血が繋がっていなかった。
少年は本当の両親の顔を知らなかった。
少年の名はエルディオス――名が示す意味は、神々の王。

少年の義父―エルディラーン卿は義勇連隊の高官であり、その義父の用事のため、少年は義父母、そして義妹と共に西の大国―フィガールへ向かう途中だった。
その途中で、それは起こった。


 ドオォン・・・!!

爆音と衝撃が二度、三度と続く。
墜落は時間の問題だった。
少年は咄嗟に幼い義妹を庇い、抱きしめた。
その少年を、彼の義父母が更に庇う。

 ドゴオ・・ォォン・・・!!!

一際大きな衝撃。
身体が引きちぎられるような強い力が少年を襲う。

 ガ・・・ッ!

右前頭――額に強い衝撃を受けて、少年はそのまま意識を失った。


少年が意識を取り戻したとき、少年らを抱きしめていたはずの両親は居なくなっていた。
辺りは一面の紅。
足元に広がるドス黒いシミ――血。
燃える空と、森と――そして、人。

「父さん!?母さん!?」

こみあげる嘔吐感をこらえて、少年は必死で両親を探す。
意識を失ったままの義妹を背負って、少年は炎の中を歩き続けた。


どれくらいの時間が経っただろう。
それからしばらくの後、少年はもう原形をとどめていない飛空機のそばにきていた。
最初に炎が広がったらしいそこは、既に炎が収まっていた。
飛空機の残骸の陰に、生き残った人々が集まり始めていた。
義父母の姿を探しつつ、その生存者の群れの中に、少年は入り込んだ。


少年は探し続けたが、結局、両親は見つからなかった。
救助が来ないまま、半月が経過していた。
残った食料は既に尽き、わずかな生存者も、次々とその数を減らしていた。
少年たちも、もう限界だった。

 ―――ヤツらは始末したのか―――?

少年の耳にそんな言葉が入ってきたのは、全くの偶然だった。
少年が見ると、一見他の遭難者たちと変わらないが、
どことなく軍人を思わせる風貌の男が二人、木の陰でぼそぼそと話していた。
何か気になって、少年は男たちの会話に耳を傾けた。

「もちろんだとも」

「あの書類がフィガールの義勇連隊本部に届けられていたら
 我々はおしまいだった――本当に危ないところだった」

「しかし『上』も大胆な計画を立てる…
 まさか飛空機を撃墜してまでヤツらを始末するとはな」

「しかも、万一の際に備えて墜落予測地点付近に同志を待機させてまでいる。
 まぁどうせこの――権力の空白地帯では、救助は望めんのだ。
 わざわざ我々が出張るまでもなかったのだがな」

書類…?フィガールの義勇連隊本部…?まさか―――?
義父はなんと言っていた?
何のためにフィガールへ向かうと言っていた?

 ―――この書類をフィガールの本部へ―――

「しかし惜しい事だ。
 エルディラーン卿も我々に附いていれば、殺されずにすんだのにな」

その言葉を聞いた瞬間、少年の中で何かがはじけた。
―こいつらが父さんと母さんを殺したのか!――許さない!!
頭で何かを考えるよりも先に、少年はナイフを抜き放っていた。

「…くも……、よくも父さんと母さんを…っ!!!」

少年の攻撃は鋭かった。
一撃で、少年に背を向けていた男の命を絶った。

「くっ!貴様何者だ小僧!!?」

「おまえらに殺された義父母りょうしんの仇、討たせてもらう!」

すばやく戦闘体勢を整える男に、少年は間髪入れず攻撃を浴びせかける。
幼い頃から戦闘術の手ほどきを受けていた少年の攻撃は、早く鋭かった。
しかし、それ以上に男の戦闘能力は高かった。
少年の攻撃は、男に傷をつけてはいるものの、決定的なダメージを与えることが出来ない。
逆に、時間が経つほど少年は圧され始め、気づけば防戦一方になっていた。

「ガキのクセに強かったが、ここまでだな」

少年の持つナイフを跳ね飛ばし、少年にナイフを突きつけながら、男が言った。

「まだわかるもんかっ!」

叫ぶなり、少年は男に飛びかかった。
少年は、完全に怒りに支配されていた。
冷静な判断など出来ないほどに。

だが、勝負はもう決していた。

「死を選ぶか。それもいいだろう」

男は冷酷に、少年にナイフを振り下ろした。
少年の左肩から、血が噴き出した。

「うああああああ…ッ!!!」

少年の口から、悲鳴と、血が溢れる。
地面に、血溜まりが広がっていく。

普通ならば、即死の傷だった。
だが、少年は生きていた。

「ま…まだ、まだだ…っ!父さんと母さんの仇……絶対に…討つ…っ!」

瀕死の状態で立ち上がり、男を攻撃しようとする。
自らの血と共にナイフを振り回して男を攻撃している。
男は驚きを隠せなかった。

「…驚いたな。その傷で、まだ立ち上がるとは…」

(…面白い)

男の顔に、冷酷な笑みが浮かんだ。

「小僧。両親おやの仇を討ちたいのならば、生き延びてみせろ。
 ここはフィガールとツェットの境界…権力の空白地帯。
 ここに救助は来ない。自力でここから脱出してみせろ。
 まぁ、その傷では途中で死ぬだろうがな…」

生き延びられたらご褒美をやるぜ。
そう言うと、男は森の中へ去っていった。

少年は限界だった。
なんとか止血を済ませると、倒れるように眠り込んだ。


夜が明けると同時に、少年は義妹を背負い、墜落現場を後にした。
傷はまったく癒えていなかった。
水も食料も、既にほとんどなかった。
絶望的な状況の中で、それでも少年は進んでいった。
絶対に生き延びるという意志を胸に―――。


しかし、この先に何が待ち受けているかを、少年はまだ知らない―――…